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欧州の時代を変えたヘッジファンドという巨凶

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ERM加盟国の通貨売却劇

英国は1992年9月16日であるブラックウェンズデー(暗黒の水曜日)と呼ばれるヘッジファンドによる英ポンドの浴びせ売りにより、翌日の1992年の9月17日に英国は、欧州為替相場メカニズムを離脱することとなる。

浴びせ売りを行ったのは、かのジョージ・ソロスが率いるクオンタム・ファンドであり、英ポンドの他にも伊リラや西ペセタ等、独マルク以外のEMR加盟国の通貨を売り込んでいる。

何故独マルク以外の通貨がターゲットになったかと言うと、元々、ドイツは東西統一による財政負担とインフレ圧力に晒されていたため、金利は常に高い水準にあった。したがって、ドイツの高金利は実勢と合っているということになる。

対して他の欧州国は、英国と同じようにERMによって実勢に見合わない高金利政策を採らなければならない状況にあった。したがって元から、ERMの中では「独マルクが独歩的に買われやすく、他の通貨は売られやすい」という構図ができ上がっていたということである。

ERM解体の危険

デンマークの第1回国民投票で「マーストリヒト条約」の批准が否決されたことでERMへの不信が起こったこともあり、ソロス氏以外の短期筋も独マルクを買い、対してERMの他通貨を売り込んでいくこととなった。

特に、英ポンドに伴い伊リラの売り込みも激しく、ERMの中心相場を、「伊リラを3.5%切り下げ、その他のEMU加盟通貨を3.5%切り上げ」という再調整せざるを得なくなった。同時に、西ペセタも中心レートが5%切り下げられることとなる。

そして、英ポンドとイタリアがERMを脱退した翌年の1993年、通貨危機は欧州各国まで飛び火することとなり、ポルトガルエスクード、アイルランドパント、さらにはデンマーククローネ、ベルギーフラン等も軒並み売り込まれていった。

2.25%の変動幅での維持ができなくなり、ERM解体の危険にさらされた欧州諸国は、1993年7月31日に各国蔵相、中央銀行総裁による緊急会合を開催し、ERM内における各国通貨の許容変動幅を上下15%まで広げる決定を行った。

どん底に落とされた西欧諸国の顛末

ジョージ・ソロス率いるクォンタム・ファンドは、10億〜20億ドル程度の利益を得たと言われる。

ERMは規定を改めたことにより、ヘッジファンドをはじめとした投機筋による、また、ERMを離脱したイングランド銀行は、ソロス氏をはじめとした投資筋に敗北を喫したということが、世界の見解となっている。

しかしERMを脱退した英国は、その後、西欧諸国に先立って景気回復に向かった。まずERM脱退後の金融緩和で、特に家計での耐久消費財の支出が伸張した。いわゆる一般家庭において、車や電子機器といった上位品を購入意欲が発生したということで、ERM脱退後の英国が、規制からの解放により叶った景気刺激策が功を奏したということになる。

サッチャー氏は、英国の当初ERM加盟に反対していた。英国の金融政策の裁量が、自国ではなくドイツの裁量となることへの懸念が理由からである。

最終的に、ERM加盟の賛成派が多数であったサッチャー政権に押し切られる形で加入することとなってしまったが、結果として、まさにサッチャー氏の懸念が具現化することとなった。ただ今回の浴びせ売りで、英ポンドが大幅に安くなったことも、英国製品の国際競争力が高くなり、英国の景気回復に寄与している。

英国がERMを脱退したことにより「イングランド銀行は、ジョージ・ソロスに屈服した」という意見は多いが、結果として英ポンド危機の恩恵で経済が上向いたということとなった。その上で英国は、失業率の改善経済成長インフレの安定化を重視した政策を行い、それは2008年の世界金融危機に至るまで継続されることとなる。

今回のように、投機筋やヘッジファンドは国の状況を一変させてしまうほどの脅威となることを学び、先述のような実勢と乖離した指標が生じない経済政策を採る姿勢が、効を持していたのかもしれない。

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